本文
校下は、石狩川河口から16km、石狩支庁管内の北東部に位置する当別町の西南端にあり、石狩川を隔てて札幌市に相対している。地域は石狩川流域の平地と北側の丘陵地帯からなる。川の流域は泥炭地が広がり耕作上問題があったが、先人のたゆまぬ努力により土地改良が進み、畑や水田が開発され豊かな農業地帯となった。その後、札幌から近いという地の利もあり、宅地開発が進んで住宅地としての広がりを見せてきた。
校下は、当別太・ビトエ、川下、獅子内、スウェーデンヒルズ、太美、スターライト、高岡地区よりなり、人口およそ6,100人、世帯数およそ2,600で西当別地区を形成している。(平成30年3月現在)
本校は校下のほぼ中央にあり、北側に道道岩見沢石狩線(81号)、東西に国道337号線、南北にはスウェーデン大通りが通っている。さらに、JR学園都市線も走り、札幌市への交通手段として利用されている。校区は広く、高岡やスウェーデンヒルズ地区、川下地区の児童はスクールバスにより通学し、ビトエ地区等の一部遠距離の児童は自転車通学をしている。
本地域の主産業は水田や畑作の農業である。保護者の職業は、以前は農業関連者が多かった が、昭和63年に札幌大橋が完成してから住宅地が広がり、札幌通勤者が多くの割合を占めるようになった。それに伴い保護者の職業構成も変化し、現在は、農業(4%)、会社員(60%)、公務員(14%)、団体職員(4%)、自営業(9%)、その他(10%)の割合となっている。(平成28年調べ)
平成18年度から児童数の減少が顕著になり、この傾向は今後も続くようである。
当別……アイヌ語のトーペツ(沼のある川の意)によるという。
当別太……アイヌ語のトウペツフトに由来し、沼からくる川(当別川)の落合を意味する。
ビトエ(美登江)……アイヌ語のポンピトイ(小石が多い所の意)に由来。
太美……共同して事に当たることの多かった当別太地区の太と美登江地区の美をとって名づけられた。
獅子内……アイヌ語のシシュシナイ(柳の川の意)に由来するという。
〔参考文献:角川日本地名大辞典〕
令和6年4月1日現在
1年生 1学級 男子 19人 女子 16人 合計 35人
2年生 1学級 男子 15人 女子 16人 合計 31人
3年生 2学級 男子 31人 女子 16人 合計 47人
4年生 2学級 男子 19人 女子 18人 合計 37人
5年生 1学級 男子 10人 女子 16人 合計 26人
6年生 2学級 男子 14人 女子 13人 合計 27人
たんぽぽ 1学級 男子 9人 女子 0人 合計 9人
全 校 11学級 男子117人 女子 95人 全校児童212人
日課表
六角形の一つ一つは、西をあらわしており、その西がつながり子供たちの和、即ち、みんな仲良く明るい子どもになるようにと。
また、中心の鏡は心を照らし、素直で裏表のない子供に育ってほしいという願いがこめられております。
さらに全体の形は、厳しい冬の雪の結晶を表しています。
(昭和26年12月20日制定)
西当別小学校の校章
西当別小学校校歌
作詞:坂本 亮 作曲:津田 甫
1.
青き手稲の かがやけば
豊かなる野に 風かおる
われらはあした 集い来て
学ぶよ学ぶ さわやかに
西当別の小学校
2.
緑の原を つらぬきて
石狩川の 水清し
われらはともに 手を結び
進むよ進む ひとすじに
西当別の小学校
3.
夕雲遠く しずまりて
阿蘇岩山に あかねさす
われらはのぞみ もやしあい
育つよ育つ すこやかに
(昭和27年2月11日制定)
「心ひとつに 未来へ」(ときめきの歌)
作詞・作曲:萩原 充生・萩原 沙波(母親)
1.
澄み切った 青い空
吹き抜ける 風のなかで
響き渡る 明るい声
何より かけがえないのないもの
心をひとつに
素直な目で見つめよう
わかりあえる 大切な
仲間だから
つらいことも みんなで
乗り越えていこう
夢に向かって 歩きだそう
明日を信じて
のびのび 語り合う子
ぐんぐん 学び合う子
もりもり きたえ合う子
はばたけ 未来へ
2.
流れる雲 追いかけるように
過ぎて行く 時のなかで
あふれる 明るい笑顔
何より かけがえのないもの
気持ちを重ねて
優しい目で見つめよう
いつも一緒 大切な
仲間だから
苦しいことも みんなで
乗り越えていこう
勇気を出して 歩きだそう
明日を信じて
のびのび 語り合う子
ぐんぐん 学び合う子
もりもり きたえ合う子
はばたけ 未来へ
(平成13年9月9日発表)
※開校五十周年を記念して、児童・保護者に募集。
新教育目標を盛り込んだ記念歌である。